バドミントン奥原希望プロフィール·優勝歴 ランキング 対戦成績
95年生まれの奥原希望は、2016年リオデジャネイロオリンピック女子シングルスで日本人選手として初めて銅メダルを獲得しました。 2017年グラスゴー世界選手権女子シングルスでも日本人選手として初めて世界王者となり、2019年には世界ランキング1位に上り詰めたシングルスのエースです。 20代半ばを過ぎてからはパワーもスピードも全盛期ほどではないという評価ですが、2026年スーパー300オルレアン・マスターズで優勝し、百戦錬磨のベテランとしてラストダンスを見せています。 日本バドミントンの歴史を塗り替えた奥原希望 1995年3月13日に長野県大町市で生まれた右利きの選手で、日本人選手として初めてBWFスーパーシリーズファイナルズ女子シングルス(2015年)、オリンピックのシングルスメダル(2016年)、世界選手権女子シングルス優勝(2017年)を成し遂げ、2019年10月29日に世界ランキング1位に立つなど、一時代を築いたエースです。 特に2017年世界選手権決勝では、シンドゥを相手に1時間50分にわたる3ゲームの接戦の末、21-19、20-22、22-20で優勝しました。女子シングルス史上2番目に長い名勝負でした。ちなみに史上最長時間の試合も奥原希望で、2015年マレーシア・スーパーシリーズ準々決勝で王適嫻に111分の末、21-19、15-21、20-22で敗れています。 日本のバドミントン天才少女の登場 家族の影響で小学2年生のときにバドミントンを始め、小学6年生のときにANAアジアユースジャパンU13で優勝、全国小学生ABC大会で2位、全国小学生バドミントン選手権女子シングルスでベスト8に入るなど、有望株として注目されました。 大町市立仁科台中学校時代から急成長し、全日本ジュニア選手権の新人部門シングルスで1年生ベスト8、2年生優勝、3年生でジュニア部門シングルス2位となり、この頃からスーパールーキーとして注目されました。2010年4月、バドミントンのために長野から埼玉県立大宮東高等学校へ進学し、1年生のときに全日本ジュニア選手権で優勝、インターハイ3位、全日本総合選手権ベスト16を記録しました。 高校2年生の2011年には、全日本ジュニア選手権2連覇、インターハイ初優勝を果たし、オーストリアインターナショナル優勝、ヨネックスオープンジャパンベスト16、カナダ・オープンベスト4、世界ジュニア選手権銅メダルなど、世界のジュニアの舞台でも名を知られるようになりました。 史上最長時間試合の主役らしく、粘り強い守備が持ち味で、年数を重ねるほど威力を発揮しました。2012年にはアジアジュニア選手権で女子シングルス銀メダルと混合団体金メダルを獲得し、世界ジュニア選手権女子シングルス決勝で山口茜を21-12、21-9で破って日本人選手として初めて同大会の金メダルを獲得し、7月のカナダ・オープンで初のグランプリタイトルを獲得しました。 膝のけがによるリハビリと全盛期 マレーシア・オープン準々決勝のサイナ・ネワール戦で左膝の半月板を痛め、手術を受けて1年間リハビリに取り組みました。11月の中国オープンで復帰した後、2014年にニュージーランド・オープン、ベトナム・オープン、韓国グランプリで優勝し、香港オープンでは当時の世界王者マリンを準決勝で破り、決勝では戴資穎に敗れたものの準優勝となりました。 2015年にはマレーシア・マスターズ、USオープン、中国インターナショナル、日本オープンで優勝し、特に12月のドバイ・スーパーシリーズファイナルズでは1ゲームも落とさずに優勝しました。このころから本格的に全盛期が始まり、2016年3月の全英オープン決勝で王適嫻を破って優勝し、全盛期の到来を告げました。 2016年リオオリンピックでは、ライバルで日本代表の仲間でもある山口茜を準々決勝で破って金メダルを期待されましたが、準決勝でP. V. シンドゥに敗れて3位決定戦に回り、不戦勝で日本人初のオリンピック銅メダリストとなりました。 2017年グラスゴー世界選手権女子シングルスでは、並外れた体力を武器に日本人選手として初めて世界王者となりましたが、そのぶんけがが多いのが弱点です。2016年には肩のけがでスーパーシリーズファイナルズを欠場し、2017年には膝のけがで欠場しました。 2018年のユーバー杯で、決勝でタイを3-0で破り日本を37年ぶりの優勝に導いたときが奥原希望の最盛期で、大会を通じて1試合も負けませんでした。ジャカルタアジア大会の団体戦では、48年ぶりに日本を金メダルに導きました。 世界ランキング1位に 2019年世界選手権には第3シードで出場して決勝に進みましたが、P. V. シンドゥに敗れて準優勝にとどまり、ワールドツアー5大会で準優勝して10月29日に世界ランキング1位に立ちました。東京オリンピックに向けて所属チームまで移して準備し、2020年3月の全英オープンでベスト4、10月のデンマーク・オープンで優勝と最盛期でしたが、コロナで大会が延期され、結局2021年東京オリンピックでは準々決勝で何冰娇に敗れてメダルを逃しました。 2022年から下り坂に入り、2023年8月の世界選手権を前に右大腿骨の疲労骨折と右内転筋の肉離れで欠場するなど、けがとリハビリを繰り返し、パリオリンピック出場もかないませんでした。2025年には高雄マスターズ、マレーシア・スーパー100、インドネシア・マスターズ(スーパー100)といったクラスの大会でのみ優勝していましたが、2026年3月にスーパー300オルレアン・マスターズで優勝し、第2の全盛期としてラストダンスの準備を進めています。 粘り強い守備、精緻なコース取り、ラリーの組み立てをもとに、長期戦で相手を制する選手で、結局はけがのために全盛期は短くなりました。インドネシア女子バドミントンの伝説スシ・スサンティの再来と呼ばれるほどの粘り強い守備で相手を崩し、一時代を築いた日本バドミントンの伝説です。